TEXTE 1
討論:新しい時代の銀行イメージと市場創造のために
上 野 :それではまとめの話にいきたいと思います。キャロンさんのお話で、いろとか形の重要性は私にもよくわかりました。だだ、大阪で質問があったのですが、日本人の色感覚というのは、最近ですと真っ黒の冷蔵庫がウケるとか、色の流行りばやりがよく取り沙汰されるのですが、そういったことと、いまお話の出た企業をデザインする上での色の使い方みたいなものはどう考えればいいのでしょうか。
キャロン:私は2種類のカラーがあると思います。一つはユニバーサルな意味をもったカラーで、これは恒久性があって、流行には関係ありません。カラーの恒久性とはどういうことかといいますと、例えば赤は時代にかかわりなく常に命を象徴する色でシンボルカラーの一つです。もう一つは流行としての色です。例えば、いま上野さんがおっしゃったような黒い冷蔵庫がありますが、もしかしたらこれから1年以内に消えてしまうかもしれません。ざっくばらんにいって、ある品物について80%ぐらいこういう色が使われた場合は、流行ではあるけれどもある程度私たちの生活に入った定着したカラーだと考えられます。そういう場合にはその色を使ってもいいと思います。ビジュアル・アイデンティティーというのは、5年、10年ないしは20年同じものを使っていかなければいけないということを申し上げたいわけです。
私はニューヨークとフランスと日本で仕事をさせていただいているのですが、各国によってそれぞれ色の使い方に違いがあるように認識しております。例えば、アメリカでは黄色が好まれていますが、日本ではあまり好まれていないようです。そういう差はありますけれども、逆に世界中で好まれている色もあるのです。一つはブルーですが、これは意識的にも無意識的にも人間がいちばん好む色であるように思われます。ですから、ある種のカラーはユニバーサリティーという性格を備えていると思っています。しかし、だからといって国際化を目指す企業がブルーを自動的に使うということはいえないと思います。他の色でも十分国際性のある色はあるのですから。ただ、自分の企業カラーを変える場合はそのカラーの力、影響を無視しないようにしていただきたいと思います。
上 野 :色というのは、きょうここにいらっしゃる皆さんもそうでしょうけれども、素人はきれいに見えればいいと単純に思いがちですが、色にはいろいろな使い方があるというとことが大事なポイントだと思います。
司 会 :─会場からご質問がありましたら、どうぞ。
質 問 :フランス、イギリス(アングロサクソン系)、ラテン系のロゴタイプの違いはどんなものでしょうか?
キャロン:日本に来て非常におもしろいと思ったのは、日本の企業、あるいは銀行がかなりアルファベットを使っているということです。アルファベットの書体はラテン民族の伝統のひとつですそういう目からみますと、非常にきれいではあるのですが、日本の銀行の場合は使い方がちょっと不器用だなという感じもしないでもありません。アルファベットの場合Fを例にとりますとFという字体はフォネティックなものですから全然意味がない。ところが漢字というのはひとつひとつの字に意味があります。ということは、文字に対する私たちのコンセプションとかアプローチが根本的に違っているといえると思います。ご質問のアングロサクソン系のロゴタイプとラテン系のロゴタイプの違いですが、アングロサクソン系にはスカンジナビア、ドイツ。ラテン系にはスペイン、イタリア、フランスなどの国が入りますが、その違いを一言でいいますと、アングロサクソン系のデザインは非常にアブストラクトなものが多いということです。ラテン系は想像力がたくましくて、具象的とまではいえないのですが、アングロサクソン系に比べて抽象的ではないといえると思います。
質 問 :効果的なVI戦略のなかに、ユニーク、心に訴える、一貫性、恒久性という4つの項目がありますが、そのなかの恒久性というのはどのくらいの期間を考えていらっしゃいますか。私個人的にはこの恒久性というのはこの4つのなかでそれほど重要ではないと考えているものですから。
上 野 いまのご質問は時代に合わせてどんどん変えていってもいいのではないかというニュアンスですか。
質 問 :結論はそういうことです。
キャロン:ご質問の意味はわかるのですが、たとえば日本が変貌するからといって日本の国旗が変わるかというと、日本の国旗は変わらないわけです。それは変わってはいけないのかもしれません。日本人の心理的なことを考えますと、日本の社会が変わるからといってサイン記号が変わるかというと、それもいえません。一般論として社会、または人間というのは社会が変貌すればするほど安定したものが必要になってくるわけです。逆説的ですが、ずっと変わっていないものがあってこそ世界は変わるのだと私は考えています。
ということは、一度VIをやったからといって20年間変えてはいけないということをいっているわけではありません。社会が変われば広告のやり方も変わるし、社員のマナーも変わるし、制服も変わるかもしれません。もちろん、変えることはいいことなのですが、根本となるVIの凝縮したものであるロゴタイプは変わらないけれども、あとのアプリケーションなどはどんどん変えてもいいということです。先ほど広告でカトリーヌ・ドヌ−ブを使いましたが、カトリーヌ・ドヌ−ブをずっと使えということではなく、時代や社会の変化により合ったイメージの俳優がいればどんどん使えばいいということです。
コカ・コーラのロゴタイプはもう何十年と変わっておりません。ただ、そのアプリケーションの世界はずいぶん変わっていると思います。それは同じことだと思います。
質 問 :いまのご質問に関連するのですが、私が勤めているのは田舎の金融機関で、いままでVIということを意識しないで看板などをつくってきました。いまのお話では企業のイメージカラーを変えるのは難しいということですが、最近、看板の耐用年数を調べたところ大体10年のスパンである程度は変えていってもいいのではないかと思っていたのですが、そのへんはどうでしょうか。
キャロン:10年に1回、20年に1回という、そういう何年というのはケース・バイ・ケースですから一概にはいえないと思います。ただ、カラーは人間に対する影響力が非常に大きいということは、逆にマッチしたいいカラーを選べば非常にいい武器になるということも考えていただきたいと思います。また、カラーはお客様に安心感を与えることもできるのです。カラーをしょっちゅう変えることはファッションの世界では常識ですが、ロゴタイプになるとあまり変えないほうがいい。というのは、お客さまは特に銀行に対しては安心感を求めているわけです。カラーなどをどんどん変えますと、非常に不安定で安心感という点ではずいぶんマイナスになるかと思います。ですから、そんなにしばしば変えないでいただきたいと思います。
しかし御行の場合はいままでビジュアル・アイデンティティーをあまり考えないで広告などをなさっていたようですから、カラーもあまり重視していらっしゃらなかったような印象を受けます。ですから逆にはっきりしたカラーをいまお選びになることが大切なことではないでしょうか。
いまカラーについての質問がいろいろなされましたが、大阪のカンファレンスのときにもカラーについての質問が非常に多かったのです。いま普銀転換でネーミングがいろいろいわれておりますから、私はどちらかというとネーミングについての質問があるかと思ったのですが、そういう質問が全然ないので意外な感じがしました。
質 問 :効果的なVI戦略のなかに「心に訴えるものがあること」というのがあるのですが、銀行に限らず、キャロンさんがこれまで経験されたなかで一番心に訴えるものがあるというVIはどんなものでしょうか。
キャロン:いまのご質問は非常に嬉しかったのですが、これは非常に大切なことで、先ほど簡単に説明してしまったので、ここで詳しくお話ししたいと思います。非常に大切だということは、このエモーション、心に訴えるということは心に感動を促すということです。人間というのは心が動かさなければ記憶に残らない。これは臨床学者によってはっきり証明されているのですが、感動することによって脳のなかの記憶をうけもつ機関にインフォメーションが入っていきやすいというのです。ですから、感動しなければ覚えることもできない、記憶に刻み込ませることもできないということです。たとえば、いま私が突然立って非常に扇動的な、ショッキングなジェスチャーをするとします。舌をみせるとか。その場合、非常に嫌悪感を感じます。嫌悪感も心に訴える何かだと思います。ですから、1年後に私の名前を忘れても、「ああ、あの変な
ジェスチュア−をしたフランス人」ということは記憶に残っていると思います。ですから、銀行でもスーパーマーケットでも非常に共感をもつもの、人々に親しみをもたせるようなイメージをつくれば、それはやはり心を打つことになりますから、人々の記憶に入っていくわけです。いまソウルオリンピックでマスコットを使っていますが、あれが一番いい例だと思います。あれによってソウルオリンピックのイメージがはっきり出されていると思います。
それから、フランスにクレディ・リヨネという銀行があります。その銀行の仕事をやらせていただいたのですが、リヨンにある銀行でシンボルはライオンです。そして、マスコットとして漫画風にアレンジしたライオンを使いました。やはりお客さんに対して親しみやすいイメージをつくりたかったので、その手段としてライオンを使ったのです。IBMでは最近の広告でチャップリンが使われています。それもIBMを愛してくださいという感じで、心に訴える力をその広告に盛り込んでいるのだと思います。
質問:私どもの銀行ではしばらく前からキャラクターをたくさん使っているのですが、お客さまが喜ばれるとか、珍しいとか、そういう印象が続けられる期間はどのくらいでしょうか。
上 野 :具体的にはキャラクターを使った貯金箱とかそういうものですか。
質 問 :いろいろあります。
キャロン:先ほどロゴタイプはあまり変えない方がいい、恒久性に支障があると申し上げましたが、マスコットに関しては頻繁に変えることは別に支障がないと思います。お客さまがそのマスコットをみてなんらの反応も起こさなくなったら、やはりマスコットのキャラクターを変える時期だと思いますので、それはごく自然にやってくださったらいいと思います。
TEXTE 2
21世紀のブランド
ジェラ−ル・キャロン
ジェラ−ル・キャロン、ブランド革命
多国籍大企業の発展するなか、国際市場に参入できない国内ブランドは危機に瀕しており、ヨーロッパやアメリカの多くの専門家らによると、ブランド時代の終焉ともいわれている。しかし、注意深く現状を分析すると、こういった悲観的な見解の間違いに気づくであろう。私自身、21世紀はブランドの時代と考えている。
世界中でブランドの商標登録数は増加している。商標登録機関は1997年に過去最高の登録数を記録した。つまり、ブランド数が縮小傾向にある市場がある一方、インターネットやエレクトロニクス分野といった一部の新しい発展市場では新ブランドが生まれ、世界中に輸出されている。
ブランドの5大革命
1)ブランドが販売価値となる:企業グループがブランドの交換、売買、相殺を行う。ブランドは分析され、その資産価値を算出され、決算書に資産として記される。
2)消費者のブランドに対する要求は高い、とりわけ新テクノロジ−よりブランドは消費者にとってパーソナル化されつつある。
3)ブランドの社会的影響力と倫理観:社会生活、環境保全、慈善活動等に積極的に貢献するブランドがふえるであろう。こういったブランドは国民ブランドともいえる。人道的倫理に反するブランドは悪とみなされる(NIKEの幼児労働)
4)プライベートブランドの勢力:特に食品、サービス業において流通業者は前進を続けるであろう。しかしながら消費者は流通ブランドと製造元ブランドという2つの選択肢を必要としており、両者は常に意識しあうであろう。また、電子業界がブランドの市場分配をさらに複雑にするであろう。
5)メガブランド他:新興市場(アジア、南米、東欧)はメガブランドの発展に適している。過去の事例からいうと、こういった市場で新しい地元ブランドが生まれ、新市場を獲得していくと思われる。ブランドは常に消費者の変化に対応し変遷し続けており、いま現在も幾つかの21世紀のメガブランドが生まれようとしている。
21世紀に生きる人々は、サイン、言語、イメージの大消費者であり、ブランドはその選択基準としての大きな役割を担っている。永遠のブランドが存在することを願う。
TEXTE 3
ジャパニーズタッチ?フレンチタッチ?
(『メッセージするデザイン』前書きより。発行:主婦の友社 1999)
1981年、東京の広告代理店、電通CI(コーポレート・アイデンティティー室)から一通の手紙が届いた。それには、片岡物産がトワイニング紅茶を日本で発売するに当たってパッケージをギフトにも使えるようなプレステージ性の感じられるものにするためにデザインコンペティションを行うということが書かれてあった。これが私と日本との最初の出会いであった。
幸い、このコンペには勝つことができ、日本人と初めて仕事を一緒にして、彼らの謙虚さ、緻密さに感動し、またその探究心や集中力、完璧主義を知ってぜひ一緒に仕事を続けたいと思ったのである。以来、来日をくり返しさまざまなデザイン開発を手がけるようになったが、我々のデザインに対する褒め言葉が〈フレンチタッチ〉〈フレンチカラー〉といった言葉で表現されることにも少しずつ戸惑いを覚えていった。日本人にとってフランス人のデザインのどんなところがフレンチタッチと映るのか私には分からなかったからである。
戦後日本はアメリカの影響を強く受け、ときには反発しながらも消費社会においてはアメリカをお手本にしてきた。ありとあらゆる人種で構成されるアメリカにはひとつの国としてまとまっていくためには誰にでもすぐわかる単純で明快なマニュアル作り、システム化が必要なのである。これはデザインにもいえることである。つまり、こうしたアメリカ人をお手本にした日本人からみると豊かな歴史的文化的背景を有するフランス人デザイナーがデザインしたものはアメリカのそれとはどことなく違ってみえ、その違いが〈フレンチタッチ〉〈フレンチカラー〉という言葉で表現されるのではないだろうか?
日本とフランスは伝統と歴史に裏付けされた奥行きのある文化や芸術をもっているという点で共通している。何事にも効率性を重んじるマニュアル文化のアメリカに対してゆっくり徐々に深く伝わる文化である。私は70回にも及ぶ来日を通じて日本文化にじっくり時間をかけて取り込まれたひとりである。本書ではフラン文化をペースにコミュニケーションデザインの考え方を説明したつもりである。アメリカで発達したコミュニケーションデザインをフランス人である私がどのようにしてコーポレートアイデンティティーやパッケージデザインを手がけてきたのか。また、いくつものプロジェクトを手がけながら自問自答をくり返し私なりに得たシンボルとは何か、なぜ必要なのかというひとつの答えをここに紹介する。本書によりデザインに対する関心や理解を深めていただくことができればこんなに嬉しいことはない。
1998年10月
ジェラ−ル・キャロン
『メッセージするデザイン』より
私がデザインの第一歩を踏み出したのはパリのデザインスクールではなく、なんとアルジェリアとチュニジアの国境地帯だった。兵役で陸軍大佐秘書として配属された小さな村で私は無為な日々を過ごしていた。ノルマンディーの小村ポン・レベックにいる母が送ってくれる雑誌の切り抜きを読むことだけが唯一の楽しみだった。ある日、まったく偶然に「兵士のための広告スクール。無料」という通信教育の記事をみつけた。戦時下の子供時代、物であれば何でも価値のあった時代に、小さな石鹸の空き箱を裏返しにして自分勝手にラベルを貼ったり、ロゴやマークをつくって遊んだものだが、私がデザインや広告に興味をもっていたことを母はもしかすると知っていたのかもしれない。「ライフワークを見つけた!」と、なぜか感じた。すぐに申し込み通信教育が始まった。軍用の資材置き場のテントの片隅で、印刷技術、レイアウト、メディア、マーケティングの初歩を夢中になって勉強した。本当に夢のような時代!毎月送られてくる薄っぺらい小冊子が私の先生だった。テントの中にあったものは配給用の石鹸の山。これ幸いと子供の頃のように空き箱を練習台にしたものだ。若いデザイナーが石鹸の箱のデザインをしているのをみると、北アフリカの軍用テントの中での勉強を今でも思い出すことがある。兵役を終えフランスに戻ると、私は矢もたてもたまらず広告の学校の夜学に通った。昼間は兵役前のように銀行に勤めなければならなかったのだ。ただし、場所はノルマンディーの田舎ではなくパリだった。夜学を卒業しシャンゼリゼ通りの大手広告代理店に入ったときに私の夢はとうとう現実のものになったと感じた。そして、私以上にデザイン感覚に優れた才能を周囲に発見したとき、私はクリエーターでなく企画と営業の道を選んだ。いまもこの選択は間違っていなかったと信じている。その後、数社を経てフランスを代表する3人の傑出したクリエーターに巡り会い、カレノアール社を設立する。カレノアールとは〈黒い四角〉という意味。黒はもっとも力強い色を表し、4人で力を合わせるという意味で四角形と名付けた。なぜ私たちがカレノアールを創業したのかって? それは私が最後に勤めた会社で、トップからパッケージング部門の開発についてのレポートを出せと要求されたことが直接のきっかけだった。私はフランスだけでなくイギリス、スカンジナビア諸国といった地域でも調査を行い結論を出した。それはじつに簡単な答えだった。「パッケージング部門を独立させるべきだ」。それ以外に方法はなかった。そして、会社側からはそれに対する解答はなかった。1972年、われわれは独立を決意した。この年、カレノアールの歴史が始まった。
1982年、TOKYO。
誰の人生にも特別の重みのある〈時〉というものがある。エアフランスのボーイング747の成田到着後、まだ数時間しか経っていなかった。私は日本に一目惚れしていた。この年、春は私たちを待っていてくれたのようだった。桜が2週間遅れで咲き始め、われわれカレノアールのミッシェル・ディール、ミッシェル・アリザ−ル、ロジェ・サンと私が着いたときはちょうど見ごろだった。以来私は20回以上も来日したが、この第一印象は忘れられない。東洋と西洋のパッチワーク東京!地球の反対側に、われわれに耳を傾け、語りかけてくれる国がある!明日の世界を築いている国がある! 最初の来日のとき私は今後必ず年に2回は訪日しようと心に誓った。一目惚れにはこれくらいの熱意があって当然だろう。
この第1回訪日の準備にはそれに先立つ数カ月前からパリで始まっていた。電通の代表、田中惣二氏がトワイニング紅茶の新しいパッケージデザインのためにフランスの10大デザイン会社にあたっていた。カレノアールにとって初めての日本の会社とのコンタクトだった。これが実に幸先の良いものになった。田中氏は10社から3社に的を絞りカレノアールと他の2社がトワイニング社のデザインを競うことになった。4週間後われわれはデザインを東京に送った。さて結果は? 全力投球したカレノアールのデザイナーたちはどきどきしながら審査の発表を待った。「おめでとうございます。他を大きく引き離して優勝しました!」。その日、我が社はお祭り騒ぎになった。新しい気運を予感したからだ。私の職歴の中でも最高の一日だった。
TEXTE 4
温泉と浴衣で始まる日本人。
ジェラール・キャロン氏
日本の方に招かれて、ある時日本独特な歓迎を受けることになった話。
温泉に招かれたキャロン氏によると、会合のミーティングは浴衣姿で、それも押し黙ったまま案内された部屋の静けさの中で日本人は多くを語らない。沈黙にもメッセージ性があり、謙虚であり謙遜する。始めて体験した日本人の習慣は、日本と西洋の違いをまざまざと見せつけられた想いであったようです。今まで日本へは70回近く来日しているが、近年、日本もだいぶ変わってしまった。
80%近く欧米ニーズを取り入れ、残り20%位が日本の本来の伝統、文化、社会的倫理感、暮らしのエッセンスを残したまま、時代に合わせるかのように変化している。
ここから本題に入るようにスライドが投影されていく。ヨーロッパでは古くからロゴ・マーク・紋章を基盤にデザインの歴史がなりたってきた。シンプルにして見た目にも洗練された形を作り出すことで、メッセージを持つ役割を果たしてきたと考えられる。が日本に置いては、300年゚く鎖国という制度により外部から入ってくる情報は限られたものであった、この守られた文化がより一層エキゾチックなものとしているようである。キャロン氏の驚きは表現された数々のマーク・シンボルに視点を向けていく、スライドで投影されていくデザインの数々は銀座のネオ唐ナあり、秋葉原の看板のサイン、銀行のマークと我々が日常で見なれたデザインのものではあるのだが、こんなにも視点の違う映像は始めてである、確かにごちゃごちゃしているマークがある、漢字文字が縦にも横にも並んでいる、目立った色も多く使っている。これが日本社会に溢黷トいるデザインかとも納得させられる。そこで日本で考えられるデザインの基盤の中に、漢字が切っても切り離せない主要な要素を含んでいるようである。
人間はみな6才位から15才位の間には文字という認識をはっきり持っていくものである。欧州ではアルファベットのA B C Dを左から右へと読まれていくのに対して、日本語の文字表記は縦もあれば、横も存在する。日本では文字は記号的要素を含む奥深いものを持っていて、読み方レイアウトひとつとって見ても複雑である。日本社会の中にある文字という物には世界感が違う認識を感じてしまう。とキャロン氏は主張している。
英語で「PACKAGE」、漢字では「箱」この一文字の中に、竹・木・目と3つのシチュエーションを持っている、文脈を記号化している絵言葉である。英語表記で「PACK」は4つの単語によって始めて「パック」という意味を表すのに対して「P」ひとつだけで成り立っていくものではない抽象的イメージでしかないものである。こうした絵言葉、写真、マンガ、イラストとデザインにおいて重要な要素が日本の中では当たり前のように使われているのである。不思議なことに、私達の欧州社会に置いてマンガを読むビジネスマンは考えられない。絵と言葉によって何を意味するのか日本人は常に一体化して物を捕らえているようである。そうした社会現象を感じて、キャロン氏はデザインに関する多数の本(メッセージするデザイン)を出版するにいたった。
本の中ではとくに色彩についてを取り上げている、カラーはファッション、ムード、トレンド、文明によってこれほどまでも表現の仕方が変わるものか。色に対する感じ方は皆、同じ感性を持っているもので、赤は朱赤で旗の色、黄色は太陽、オレンジは愛、幸せといった具合に置き換えることで、買うお店のイメージであったり、サービスや付加価値をひきだしてくれる役割がある。日本においては他の国に比べてそれらをふんだんに入れる傾向が強い、他人に借りがあるかのようにアドバイスできうるものはすべて入れてしまう。日本人は完璧主義である。集団において細部にも注意をはらうことが日本ではあたりまえのように行われているのには驚かされる。
グローバル化していく日本「バレンタイン、クリスマス、ハローウィン」と他国の行事を社会のサイクルとして商品化して消費者のニーズを引き出そうといている。そんな消費者動向を調べていくうちに、現在世界中をネットしている調査会社スコープスを立ち上げることになったのである。
今までの個人主義の時代から、洗練された快楽主義の時代へ変化していくことが考えられる消費者動向は、それぞれの国において多少の違いはある物の、類似性がでてきている。
そうした中、PDAも今年で10周年を迎えます。デザイナー同志の交流でまだまだ一緒にできることは沢山あるでしょう。PDAが日本でJPDAとの情報交換を行うことで、少しでもお互いの理解が深まれば良いのではないでしょうかとキャロン氏は締めくくった。